バザーリア法により、精神病院をなくしたイタリア。
そのバザーリアの愛弟子トッマーゾ・ロザーヴィオ氏を招いてのセミナーが12月4日にありました。

場所は葛飾区のシンフォニーヒルズ。

会場

講演はロザーヴィオ氏、通訳の佐藤氏、コメンテーターに大熊一夫氏

121208 katsushika2

ロザーヴィオ氏の話は、ジュゼッピーナというある女性患者の話から始まりました。

彼女は困った患者だったので、「メスライオン」と呼ばれており、手が付けられないので、施設のラジエーターに裸で繋がれていた。食事も手づかみ。
最初は攻撃的で危険だったので、近づこうとしただけで騒がれてしまう。
この最もひどい患者をどうにかすること、それが最初の目標。

次の日の朝に緊急会議が開かれ、彼女を最優先とすることが決まった。
長い間適切なケアが受けられていなかったから。

彼女には父母妹の家族がいたが、22歳の頃に病院に片道切符で預けにきた状態。
病名は統合失調症と診断されていた。
理解不能な言葉で話し、病院の規則を破ったり、攻撃的でケンカをたくさんした。そのせいで右目の視力を失うほどに。
カルテを見ても、新しい報告は書かれておらず、そのまま25年が経っていた状態。

1996年7月に彼女のプロジェクトはスタート。
他の人との7人での共同生活をグループホームですることに。
新しい関係を作ることにチャレンジするうちに、日に日に状態は改善されていった。
難しい局面はあったものの、拘束されるようなことはなかったくらいに。
イライラする時も暴力ではなく表現するようになった。
彼女は結局その後、腸のがんで亡くなった。

なぜ断固として精神病院を閉鎖したのか?
精神病は病院の中で閉じ込められて見えなかった。しかし、それを外に出すことはできる。新しい地域の形が始まった。
バザーリアは勝利(vince)するのではなく、納得・説得(convince)させるのだと言っていた。

長期間の入院は、治療よりも、新しい精神病を患ったりすることもあり、施設シンドロームと呼ばれる。
精神病はその人の人生を作っている関係性の一部であり、その人の所属している環境によっても異なる。
またコスト的にもお金がかかりすぎる。

1978年に超党派の合意で国民保険サービス法が成立。
1.精神病院を閉鎖し、入院患者を地域移行させる
2.強制的な治療への新たなルール
3.総合病院の中に精神科病棟をもうけベッドは15床以下とする
4.精神保険局をおく
ことが決まった。

我々が精神病院を閉鎖するためにしたことは、制度改革のプロセスを開始し、単に脱病院ではない脱施設化である。新しいところで以前と同じことが繰り返されては意味が無い。
一つ一つをこれで良いのかと点検していった。
バザーリアは入れ物を否定しただけで、病気で苦しむ人を否定してはいない。
病気をカッコでくくり、少し距離をおくように考えた。
反精神医学でもない。

地域での支援のネットワークで患者の症状によって適切なケアを受けられるようにすることが不可欠。他職種のチームであたる。15万人の人口に1つあり、誰でも無料でアクセス可能。

総合病院の精神科入院病棟は最大でも10~15日の入院にとどめる。
その他民間のデイホスピタルや、リハビリ目的のデイセンター、居住施設なども活用される。
また、社会的協同組合が他の障害を持った人たちとも一緒に働けるようにしている。
新しい保健政策では、「cureからcareへ」。一人の人間として向き合う。
家族も貴重な資源。

この青い馬マルコカバーロはトリエステのシンボル。
入院患者達がこの張り子の馬を引いて街中を練り歩きアピールした。

青い馬の写真

バザーリアの言葉。「クソで手を汚せ」
ダイヤモンドからは何も生まれないが、糞からは花は咲くでしょう。

sporcatevi le mai con la merda

当日のツイートをTogetterにまとめました。
日伊メンタルヘルスセミナー「なぜ我々は精神病院を捨てたのか」 - Togetter


イタリアの医療改革についてはこちらの本に詳しく載っています。
精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本
大熊 一夫
岩波書店
売り上げランキング: 26841


人気ブログランキングへ

いいね!ボタン押して下さい(ブログ村にランキング投票されます)